菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第2回(後編)
韓国ノワールはなぜ匂い立つほどリアルなのか? 菊地成孔が『無頼漢 渇いた罪』を解説
面倒な前置き
連載タイトルこそ非ロマンス語圏を総て平等に扱うかの如き謳い方になっていますが、正直な所、僕の守備範囲は圧倒的に韓国で、これは新宿歌舞伎町からリトルコリア(厳密にはリトル明洞)を挟むボーダーの上に10年以上も住んでいた。という事もありますが、やはり文化的に、映画のみならず、韓国のサブカルチャーは強烈で、目が離せません。
とはいえ、もうK-POPの波も凪ぎ、韓国料理というのも10年も喰うと飽き飽きしてくるものでして、現在ワタシが韓国から得ている物は、テレビドラマ(見る物の90%が韓国産です)と映画(アジア映画では日本と韓国映画しか観ません)とヒップホップ(米5、韓国3、日2、といった配分)です。
ワタシはナショナリストではありませんので、日韓の映画や音楽のどちらが優れているか?という比較に、愛国心的、或はその逆の、隣国への反発心といったファクター、バイアスがまったくかかりませんので、無心に比較しています(因みに台湾は今、韓流のコピーに大忙しですが、コピー期としての魅力に欠けるので評価しません。それは、台湾という国に対する物とは全く関係ありません)。
その上で、ついつい国産よりも韓国産に手が出てしまうのは、いろいろなメディアで書いるように、僕個人がSNSやゲームやマンガやアニメやアイドルカルチャーを一切嗜まないので、単純に「ジャパンクールの現状」への適応力が低いだけだと思っています。これはエクスプレインでもエクスキューズでもディフェンスでもなく、ジャパンクールは素晴らしい文化なのではないか?と予想していますし、薄々実感しています。
そうした者にとって、「漏れ伝わって来て、知らないでも無い」ぐらいのジャパンクールよりも、現前にある、韓流の「実質」は物凄く、机の上から平然と落とす事が出来ません。それはきっと、昭和の方が長く生きた年寄りの感覚かもしれません。
とはいえ僕は韓流大好きの韓流ATMで、日本のアイドルや映画なんかクソだね。とかでは全くありません。毎回書いている、日本の「空虚」に対し、韓国は「実質」がみっしり詰まっているんですが、このみっしり感が重くて毎回胸焼けを起こしていますし、韓国のアイドルや女優に、特定の信心を持っていたりもしません(名前も憶えていない程です)。
こういうことをくだくだと説明する事が無粋なのは良くわかっているのですが、ネットの世界というのは、この問題に関して、この位説明しておかないと、自分以外の人々にまで面倒がかかってしまうと脅かされたので(笑)、敢えて今回、本文の前で自分の立ち位置を明確にしてみました。実際は連載をお読み頂ければ説明せずともご理解頂けると当たり前に思っていたのですが、手間のかかる世の中になりました。